国家神道成立の経緯

国家神道に至るまでの歴史的背景諸国の神社は、室町中期以来の争乱で神事もすたれ荒廃したが、室町幕府と結ぶ吉田神道の台頭によって、神道復興の気運が高まった。この吉田神道に大きな影響を与えたのが、伊勢神道(外宮神道)である。また16世紀の半ばに…

天照大神と伊勢神宮成立の経緯

記紀神話には「大化の改新」以前に、天皇家が天照大神を祀ったというはっきりした記述は見えない。実際は大海人皇子(のちの天武天皇)が壬申の乱の時、天照大神に先勝祈願をして勝利をおさめ、これが契機となって天照大神は皇祖神への道を歩みだしたといわ…

日本の古代原始宗教

日本の縄文時代は約一万二千年前から始まり、約一万年続いた。中期から増大した縄文土器には蛇の造形が数多く見られ、単なる装飾というよりは呪術的な印象が強くあらわれている。また頭にマムシを巻きつけた女性の土偶や、男根を象った呪術シンボルとみられ…

蛇信仰と牛信仰

宗教の始まりは、性と豊穣の呪術である。世界各地から旧石器における、乳房や腰や性器が強調された女性像、および男根像が出土されている。これは「産むこと(多産)」「食べること」、つまり「生きること」への意志と願望が込められた呪術であった。新石器…

神道とは

日本の古代原始信仰は蛇信仰だったと、民族学の権威である折口信夫氏もふれているが、蛇信仰の研究で有名な吉野裕子氏は「天皇家のルーツは蛇である」とはっきり断言しておられる。つまり神社信仰のルーツは蛇信仰ということである。蛇は祖(おや)神(がみ)で…

サタン側エバ国家日本

日本の歴史的背景として最も問題なのが、原理講論には「サタン側エバ国家」とされる、日中戦争から第二次世界大戦までの期間である。そこで、原理講論(p541〜p542)の「天の側とサタンの側との区別は何によって決定されるのか」の一部を引用してみよう。「…

「訓読」と言われて、すぐに私が思い浮かべるのは景教寺院のことである。景教とは、中国の唐の時代に「景教」と称されたキリスト教ネストリウス派のことである。シリア人ネストリウス(386〜451)を代表とするこの宗派は、マリアを神の母と認めること…